「ブルースはまだ歌えない」

こんばんは、マリナです。
今日は一段と寒くて、ついに冬が本気出したな、と、マフラーをぐるぐる巻きにしています。

こんなとき、人間はつくづくヤワだな、と思う。でもだからこそ、こうやってマフラーを発明したり、湯たんぽが生まれたりしたんだな、と、その人類の長~い歴史に想いを馳せながら、愛おしく感じながら、考えたりしています。ついでに言うと、こないだシモキタの420でお兄さんにオススメされて買ったこのマフラー兼ストール兼ポンチョは、かなりのポテンシャルを発揮してくれていて、これからかなり活躍しそう。たくさん試着した甲斐があったなー。





昨日、アップロードしました、YouTubeの試聴音源。CDを買ってくださった方は聴いたことあると思うのですが、どうでしたでしょうかーーーっ。




きっかけは、映画「マンディンゴ」をついこの前観たときに、「あ、こりゃ、ブルースなんて、まだまだ歌えないなぁ。」と、思ったからでした。興味ある人は是非見てみてください。わりと古い映画みたいなんだけど、TSUTAYAとかでも借りられるはずでーす!


現代のブルーを歌えば確かにそれはブルースなんだろうけども。

わたし、まだまだですわ。と、思ったのでした。思わされたのでした。




歌わずにはいられないどーしょもない気持ち、とか、

歌わずにはいられないどーしょもない楽しさ、とか、

歌わずにはいられないどーしょもない悲しさ、嬉しさ、歓び、恋しい気持ち、とか。

そんなものが、そもそも人類の歌の歴史だと、わたしは思っている。


それはプライスレスであって、
ナニモノにも変えがたい価値があるものでもある。



アメリカの古いブルースでも
日本の古くから伝わる民謡でも
別れのさびしさを歌う童謡でも
そうなんじゃないか。




今日商店街を歩いていたら、
どこの誰が歌ってるかわからない、歌が大きな音でスピーカーから流れていた。



この街にはなんだかあまり似合っていなかった。


この街にはこの街の、ブルーがあって、街を歩く人それぞれのブルーがあるはずなのに、どうしてこうも、都会の街の、そこらじゅうのスピーカーから漏れてくる、歌が同じなんだろうとも思う。




なんだかそんなことを思っていた。

あの人が歌うあの歌が好きだし、
あの店があるあの街が好きだ。





今食べている駄菓子が美味しいのは、これを買った友だちんちの駄菓子屋さんが好きだからだ。




あ、話がずれた。






歌詞を載っけておわります。




もう週末だ!





コーヒー飲んで、もーひとがんばりだいっ。。

 

 

 

「ブルースはまだ歌えない」

ハタチを過ぎたころ
家を出たのよ
さびしさにかまけて
歌を歌ってたわ

愛の名のもとに
恋を繰り返す
傍らで見つめる
あんたも同じね

今日の天気は晴れのち雨
やがて雪へと変わりゆくのだろうか

ポケットの中で握りしめる
ありきたりの真っ赤なブルー
掻き集めて歌にでもする
でもブルースは歌えない

あの人とふたりで
観てた古い映画
アメリカ南部の
昔の物語

字幕を見ずとも
なぜだか分かる
マディー・ウォーターズの
哀しき道しるべ

今日の天気は晴れのち雨
そんな生ぬるい憂鬱を抱きしめている

ポケットの中で握りしめる
ありきたりの真っ赤なブルー
掻き集めて歌にでもする
でもブルースは歌えない
まだブルースは歌えない